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好みの話じゃなくて、好きの話

WASTAR CRYAMY わたし

 

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2019年の4月26日、新宿marbleでCRYAMYを見た日の記録。もう3年も前のことになる。この日たしかに感じたカワノさんの愛情が、形を変えて今WASTARに宿っている。「当たり前に愛してるよ」という歌詞、CRYAMYらしくてすごく好き。そんなことはずっと大前提にあるんだ。結局、そういう単純な愛がCRYAMYをつくっているんだ。それを知って、それを見て、それを聴いて、わたしはこの森羅万象を愛せるんだ。

 

冒頭から暑苦しくなってしまいました。23歳児童福祉職員、今日も元気に出勤です。本当に子どもはすぐに泣きよく笑う。その姿を見て私たちもエネルギーをもらう…なんてことは万に一つもありはしませんが、彼らの清々しいほど純粋で生きることに何の疑問も抱かない澄んだ目を見ると、今日も私は間違っていなかったなと思ったりなんかはします。ほんと、たまに。大体は、このガキほんとめんどくせえ、くらいの感覚です。毎日それなりです。

さて、今日は遅番で午後からの出勤ですが、連日の早番や超勤のおかげで早く寝て早く起きる習慣が身についており、7時前に起きた私は人生初のモーニングなるものに来てみました。近所の喫茶、入店すると、学ランを着た坊主&眼鏡の高校生(たぶん)が一人と、とくに何の特徴もないおばさんが一人、各々席についてiPhoneや文庫本を眺めていた。おばさんはともかく、平日の朝に喫茶店に来る高校生に違和感を抱きながら私も椅子に座り、窓の外を眺める。週明け、月曜午前9時の人々の営み。可もなく不可もなく。

 

こういう街並みを見ると、決まっていつもCRYAMYが聴きたくなる。冒頭にもあるが、私はCRYAMYをマイナスな言葉で括ったり表されたりするのがあまり好きじゃない。WASTARが出たからこそやっと確信を持って言えることではあるけど、カワノさんが歌うのはずっと普遍的な愛ただ一つだと思う。CRYAMYほど、可もなく不可もない私たちに似合うバンドはいない。誰かを嫌う一方で誰かを愛し、誰かに嫌われる誰かも一方では必ず誰かに愛されてる。これが普通で正しいこと。わかりやすく言えば、何者にもなれなくても、偽物に埋もれてしまっても、救ってくれなくても、私が大嫌いだと思うあの人を殺してくれなくても、私は、当たり前にCRYAMYのことを愛してるよ。ということ。

みんな、意外とCRYAMYをわかってないんだよ。毒を吐いて、唾を吐いて、嫌悪にまみれながらそれでもこうやって誰かに愛されるCRYAMYは、きっと同時に誰かを愛することもできる。CRYAMYを表現する言葉は、愛であり、ラブ。平日午前9時に街中を歩く人達の営みと何一つ変わらない、普遍的なもの。

 

なんてことを書いていたら時が経ち10時になり、切り忘れていたiPhoneのアラームが喫茶店内に鳴り響いてしまいました。まずこの静けさの中にアラームを響かせてしまったこと、そして午前10時にアラームをかけていることがバレて恥ずかしい。一応かけてるだけだよ、一応ね。

 

これを更新したら、ぼちぼち店を出て職場に向かおうと思います。

そういえば、春が来た。来週あたりに発売される#4があるけど、これも3年前と同じだ。春は嫌いだったけど、3年前も、4月20日に発売されるcrybabyのシングルと下北沢のデイジーバーであった初の自主企画、それだけが春を迎える理由になっていた。

CRYAMY#4、春に取り残される私を、惜しみない愛情で包んでくれる予感がしています。期待。