INDEX FOSSILS

好みの話じゃなくて、好きの話

CRYAMY『世界/WORLD』

あのほんと、大したこと言わないので…。後半眠くなって何言ってるかあんまりわからないし。ただ、この年の瀬に一人CRYAMYの新譜聴いていたら居ても立ってもいられず、思いついたことポンポンと書いてしまいました。書いてしまったら、読んでほしいと思ってしまいました。拝啓、CRYAMY。

 

社会人になり3年目。まあ人それぞれいろいろあるのかもしれないけど、幼稚園から大学、どの時代と比べても私は今が一番楽しい。一人暮らしを始めて生活が自由になったし、好きな仕事をしているし、時間はないけどお金があるし。バンプオブチキンが新譜にライブ抽選のシリアルナンバーをつけるというなら、3枚も4枚も買うことだってできるんだ。

そうやって社会に順応していって、大学で一人も友達ができず一年で10単位しか取れなくて留年したときには「わたし社不かも」なんて本気で思っていたりもしたけど、まじで全然そんなことなかった。相変わらず、人見知りだし、お酒に飲まれることもあるし、段々と連絡を取らなくなっていく仲の良かった友人を何も言わず見送ったりすることもあるけど、なんとなく普通に暮らしている。月に一、二回くらいは好きなバンドのライブに行って、新譜を聴いて感動したり、新しいバンドを探ったり。そういうことを普通にやっている。

ここ数ヶ月、可もなく不可もない、まあこういうのを幸せと呼ぶんでしょう、みたいな、そんな日常の中で、私はずっとCRYAMYを好きじゃなくなる日が来るんじゃないかと怯えている。大学二年生の秋にCRYAMYに出会ってから、当時は狂ったようにライブに通い、そのたびに感想とも言えないほどの散文を暗い部屋で幾度となく書き上げた。今となっては読み返すのも恥ずかしいほど支離滅裂で終始自語りな文章。でも、そうやって自分の中の何か(気持ちとか過去とか)を引き出してくれるのは、数多バンドを探ろうとそのきっかけとなったバンプオブチキンと、あとCRYAMYだけで、だからそういう自語りすらCRYAMYへの誇りとも感じていた。

それが最近、というかここ二年ほど、丸っきり何も書かなくなり、そもそもライブもメモリアルなものか対バンが気になるものしか行かなくなった。社会人になって忙しいふりをしているが、本当は毎日が充実しているだけ。仕事終わり、職場の人たちと飲みに行くの、たのしーね。友達と休みの日にピューロランドに遊びに行くの、たのしーね。たまに異性とデートして女の子として振る舞うのも、たのしーね。たのしーことたくさんあって、過去の嫌なこと、全部大丈夫な気になった。そうやって乾かして笑い話にした。大学二年生の秋に私がCRYAMYに熱狂していたのは、そんな過去を良くも悪くも鷲掴みにして振りかざして投げつけてくるからだということを、なんとなく忘れてしまっていた。

で、えっと。「世界/WORLD」みんな聴いた?ここまで長かったしどうせここからも長いからこんな中途半端なところに結論をポンと置いておくけど、私、CRYAMYのことたぶん愛してるわ。もう大丈夫と思っていた嫌だった過去は本当はまだ全然無理で、そしてCRYAMYというかこのアルバムはそんな過去をそこにいた私ごと肯定してくれると、信じた。まーた抽象的なことばっかり言って。でも、だって、目を背けたり逆に見せびらかしたりして必死こいて乾かしたのに、私、街月一つ聴いただけで普通に泣いちゃった。いやまじで、まじで大したことないんだよ。私の憂鬱なんてたかが知れてるし、嘘じゃなく、本当に笑い話にできる人だっている。でもなんか私には無理だった。若くて生きる世界も狭い、そこから逃げられずずっとしんどくて、その逃げられなかったって事実が今度は首を絞めてきて、それを何年経っても解消できずにいるってことすら今の自分を苦しめてくる。街月聴いてさ、一通り最後まで聴くじゃん、でさ、世界聴いてるときに、あれなんか違う、こうじゃない、なんか、なんか足りない、みたいな気持ちでもう一回冒頭から聴き直すの。そしたらさ、光倶楽部聴いて笑っちゃった。そのあとの注射じゃ治せない〜葬唱まで、なんで一度素通りできたのかわからないほど爆刺さり。あれ私ってこういう音楽好きだっけ?とか思ってこんなところで思い出すのも情けない。当時(私がライブに通い始めた大学二年生の秋)、カワノさんはいつも何かに怒っていて、なんだか満たされないようなことばかり言っていて、ライブに行けば「あなたに嫌なことをする人がいるなら俺が殺すから」みたいな、嘘か本当かそんなことを吐くほど、そうギラついていた。それがパフォーマンスなのか、はたまた心からそう思っているのか、そんなことは一旦隅に置けるほどそういうCRYAMY、カワノさんがカッコよくて、胸が焦がれるほど憧れた。でもやっぱり私はCRYAMYの根底にはどんなに最低なことをしていても諦められない「愛」みたいなものがあると思っているから、そういうものが体現されるような曲、ディスタンスとか、まほろばとか、完璧な国とか、そういう曲もわけがわからないくらい好きで、当時胸を焼かれたギラついたCRYAMYから、少しずつ印象というかイメージというか、うーん、誤解を恐れず言うなら、魅せ方?そういうものが後述の愛あるCRYAMYへ少しずつすり替わっていることに気がつかなかった。もちろん、どちらもCRYAMYを形成する大きな要素で、その両方があるから私はCRYAMYが好きなんだけど、前半5曲を聴いたらさ、もうライブに行きたくて行きたくて、たまらず1/5下北沢デイジーバーのチケットを血眼でもぎ取った。忘れててごめん。CRYAMYはロックバンドなんだ。酷い耳鳴りを起こす爆音と、痛みと、悲しみと、こんな小さな世界だけを歌う、そういうバンド。だから私はCRYAMYを好きになったんだ。

7月に、恵比寿リキッドルームで全曲新曲ライブを見たとき、一回でも「あ、CRYAMYこういう感じになるんだ!」って思ってしまった自分を呪いたい。まじ、恥ずかしい。こういう感じも何も、CRYAMYは前からそんな感じだし、そういうCRYAMYから私過去のことも全部ひっくるめて優しさをもらっていたのにね。ねえてかさ、何度聴いても足りなくて繰り返し繰り返し再生しちゃう時点でさ、こんな文章書かずとも私にとって素晴らしいアルバムだということ、確定じゃん。リリースにあたってカワノさんが各所で色々話しているからちょっと身構えていたけど、普通に私の好きなCRYAMYです。発声の仕方が少し心配なのも変わりませんね。

生きるとか、死ぬとか、全敗だとか、なんだとか、カワノさんがよく言うそんなことはもうなんだかどうでもよくて、ただCRYAMYというバンドの音楽を私に聴かせてほしい。もしかしたら、当時のように「死ななくてよかった」みたいなことまでは思わないかもしれないけど、私のこの可もなく不可もない、月に一、二回くらいは好きなバンドのライブに行ける普通の生活の一端を担っているのは、CRYAMYだから。あのとき強烈な閃光だったCRYAMYはいま私の日常に溶け込んで、知らず知らずのうちに普遍的なものへ化している。好きとか好きじゃないとか、もうそういう話じゃなくなっているのなら、私はCRYAMYを愛しているのかも、なんて、少し照れながら言ってみます。

CRYAMY、2ndフルアルバム発売おめでとう!来年も、またよろしくね。良いお年を。