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好みの話じゃなくて、好きの話

「物臭」へ

 

月曜日の大学は午後からの二コマ。それも特段苦手な英語の授業が連続でふたつ続いていて、今日はどうしても行く気になれなかった。仕度を済ませ家を出て、電車には乗るものの、結局最寄りの一つ隣の駅で降りて紀伊国屋に向かった。

日差しが暑い。夏が来るのだろうか。そろそろ日焼け止めを買わなければならない。母の日にプレゼントしたシトラスの香りがする日焼け止めスプレー、ちょっとくれないかな。今月はお金がない。今週は二件お誘いがあるけど給料日までは程遠い。お金がないくせに読みたい本はある。期限が切れたZOZOTOWNの支払いを後回しにしてまで飲んだお酒や買ったCDに意味があったのかはわからないけど、誰も肯定してくれないなら自力で意味を見出だすしかないのだ。紀伊国屋で購入した値段分の重さがあるこの大判の新書に、私はそれ以上の重みを感じられるだろうか。そのあと立ち寄ったサンマルクカフェに私は一人で三時間も滞在したのに、一度も本は開かなかった。

 

本を読まない私は言葉を知らなくて、この曲に出会うまで「物臭」の文字には馴染みがなかった。曲名のとおり、出てくるフレーズや浮かぶ情景は後ろ向きで湿った日常。今にもほどけそうな緩い靴紐に気づいたときのような、上着のポケットに入れっぱなしになった十数円の小銭を握ったときのような、小さい憂鬱がいくつもいくつも積み重なって、動けなくなる。本当は全部ここにあるのに、遠く先にある何かを掴まないといけない感覚に陥る。物臭の歌詞はそれがすべて現れている。"本当"というのは汚いけど綺麗なものだし、綺麗に思えるけど実は醜いものだったりもする。結局それを綺麗に映すかどうかは見る側次第で、そんな物臭の歌詞を綺麗だと美化するのも聴き手側、私次第なのだ。私はトイレットペーパーを友達に買ってきてもらうことはないし、買ってもらったテレビを売ったこともない。薬局で缶チューハイは買わないし、その空き缶を灰皿として使いもしない、そもそも喫煙もしない。だけどどうだろう、遊び呆けて朝方に帰宅しても親が鍵を開けておいてくれること、お世話になった先輩に大層な文句を言い付けたこと、友達を裏切ったこと、後輩を妬んだこと、志望校をひとつ落としたこと、学校をサボったこと、バキバキに割れたスマホの画面を修理に出さないこと、ZOZOTOWNの付け払いを払わないこと、買った本を読まないこと。出てくる後悔、憂鬱、怠惰、小さくても積み重なってそれが大きなプレッシャーになる。そうしているうちに些細な苛立ちに蝕まれていって、結局、取り返しのつかないところまできてしまう。物臭の歌詞は、そうやって私が背を向けたところで知らないうちにリンクして、後ろ髪を引っ張られ、引き戻される。こんな日常は綺麗とは言えない。物臭の歌詞は美化できない。聴けば聴くほど、部室が並んだカビ臭い廊下を思い出す。土の匂いが混ざった6月の湿った空気を思い出す。あの時野球部なんて選んでいなければ、私の後悔も少しは取り除けたかな、という、後悔。毎日のように嫌悪や憎悪を抱いた生活は、「最低」以外の何でもない。

でも、物臭には、音楽にはメロディーがある。それが一種のカタルシスというか、とりわけ、物臭はそれが暗い歌詞を良い方向へ導いてくれる。後悔は消えないから後悔だし、簡単に美化できるようなものでもあってほしくない。そんな軽いものを悔やんだつもりはない。それでも、憂鬱は憂鬱のままで、後悔は後悔のままで、それを鳴らすのはポップで優しいメロディー。だから、私は、物臭が綺麗だと思ってしまう。生活は思うように上手くいかない。寒いから見送りに出たくはない。誰かのために動けるような出来た人間じゃない。本当のことは綺麗とは言いがたいけど、本当を歌う歌はすごく綺麗だった。

結局のところ、物臭は良い曲なのだ。愛される歌だと思う。こんなポップソングが、ただ一人に伝わればと願う。歌なんていうのはずっと昔から「君」のことしか言われないし、それも大概が、会えない相手への恋文だし。

 

サンマルクカフェを出た頃にはもう日が落ちていた。物臭のミュージックビデオを見てすぐに帰ろうと思ったが、涼しい気温とまとわりつく湿った風がちょうど良いところで混ざりあっていたので、もう少しだけ歩くことにした。家の近くを通ったところで、街頭の灯りが変わっていることに気づく。オレンジ色の明かりから白っぽい色に変わっていた。誰が、いつ、替えたのだろう。

 

去年の秋、CRYAMYと出会ったとき、その時はまた別の意味で最低の生活をしていた。学校も行かず、バイトばかりで、彼女のいる男の子と遊んで、何も無かった。何も無かったのだ。#2に収録されたディスタンスを初めて聴いたのは10月の終わり頃で、私はその冬をディスタンスと一緒に越したと思っている。長い寒い厳しい冬は、越したのだ。何も咲かない時期はもう終えた。シーズンが開幕する春は嫌いだったけど、CRYAMYのおかげで好きになれた。この春にあったリリースパーティーは、私が冬を越す理由だった。そこで聴いた物臭は、特段綺麗だった。

この、あたたかい、湿った空気を帯びて歩く夏の夜は、物臭と一緒に越せる気がする。明日はちゃんと学校に行こう。音楽療法の授業がある。英語は嫌いだけど、この授業は楽しみにしていたのだ。この夏休みには集中講義も受ける。遠くにある何かを掴みたいから、目の前にあるものから拾っていかなければならない。